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一瞬でも視界が閉じたら、目前の事から目を離したら、多分正気なんか保てない
それでもどうしてか、己の瞳がうつしている情景よりも、脳裏にこびりついて離れないそれの方が現実のように思えてくる
初めて主人から与えられた食事はなんだったか
確かスープ
人参と同じような色のトマトスープ
スプーンは無かった
高そうな器いっぱいのトマトスープ、それだけを目の前に出されて
俺はまだガキで、馬鹿で
優しさのように見えたそれが嬉しくて、食器を両手で持って、スープを口に含んで喉に通した
本当に馬鹿だった。あの主人が俺らみたいな人権の一つすら無いような奴らに優しさも、情けも、そんなものを与えるはずが無いって、どうして気づかなかったんだろうなぁ?
与えるのは痛みだけだって、苦しみだけだって
ぐるんと回った視界にうつるのは彩色も輪郭も何もかもがおかしくなった世界
さっきまで無かったはずのものが見えては消えて、聞こえないはずの声と、内臓を全部ひっくり返す程の吐き気
脳と繋がらなくなったように思う全身の神経
崩れまくった世界の中でハッキリと見えるのが主人の笑顔
動くのに、自分の体ではない感覚
裏切るもなにも、最初っから真っ赤な嘘の優しさであることは後々に気づいて
その時はただ裏切られたと勘違いして、傷ついて、必死に逃げようとしては全てのことに恐怖して
全ての感覚が受け取るものがとにかく怖かった
一回だけじゃない
頻繁では無かったけど、一見まともそうに見える食事は何度も与えられた
でも、どうせ全部見せかけなんだって分かってるから拒否すれば
主人の手によってスプーンを喉の奥にツッコまれては腹を殴られて、生理現象で胃液さえも吐き出した
空っぽの胃に毒が含まれたものが落下して、また苦しんで
そうだ、食事というのは恐怖でしかないんだ
抜けだすことが不可能な恐怖の循環
目の前の、正しく現実の視界にうつるエニスの妙な笑顔は、主人とよく酷似している
親子だから似ているだけだ、主人の娘がこの食事を用意した訳じゃない
でも、だからって今の主人達がそんなことはしないなんて、どうしたら確信を持って言える?
最初で最後だったんだ
主人の優しさだと信じてしまったあの食卓は
同じような立場にある人間達をどうやって信用しろって言うんだ
あぁ……でも、信じていなくても命令には逆らえない
エニスが食えと、差し出したものを口に含まなければならないんだ
口を開けなければならない
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作者名:ねっこんこん x他1人 | 作者ホームページ:http://nekokobuta
作成日時:2024年3月20日 2時